おはようございます。
8月24日(金)、台風の被害に遭われた方、お見舞い申し上げます。
つじ鍼灸院のある京都市下京区は、昨夜から本日未明まで暴風と雨が強く降ったり弱まったりを繰り返した程度です。
鴨川の水位はそんなに上がっていないと感じるのは、アラートが鳴っていないからです。
他府県がどうなっているかわかりかねますが、交通機関は間引きしながら動いているようです。
こういう日は午後出勤で定時帰宅…というのが会社として社員と家族を守る術だと思いますよ。
昨日は久し振りに筒井康隆氏の【現代語裏辞典】を引用させてもらったんですが、まだまだ知られていないことを知りました。
かといって引用しすぎると、本書を読んだときの楽しみを奪うことになるので今後は控えます。
私はこの辞典を切っ掛けに筒井康隆氏の長編小説を2冊読みました。
『聖痕』と『モナドの領域』
前者は日本語の再興、再考ということも含まれていて、内容を考えると教科書採用は難しくてもこういう文体を国語の教科書に取り入れてほしいと感じる。
私のなかでは英語という授業は大学以降でいいと思っていて、高校以下で取り入れるなら選択授業にしてほしい。
そして国語の時間をゆったりと設けて、登場人物や作者の心情をもっと掘り下げ、文体や言い回し、言葉の選択を学ぶ時間にしてほしい。
日本語を知ることで他国言語をもっと理解できるんじゃないかと。
この2冊もそうですが、他の知識や経験者のがないと書けない内容で、後者は特にチューリングという数学を学んでおられる方はご存知の名前が出てくるほど。
何事もそうですが「ちょっと知ってる」内容が出てきたときって、その世界や時間に溶け込むように感じる。
もちろん「知らない」というのもそうですが、それが学ぶ上でトリガーになってくると思うんですよね。
少なくとも私は専門学校に通うようになって、その事に気づきました。
知らない、ちょっと知ってる、知ってる、めっちゃ知ってる…どれも学びがあって、知ってる、めっちゃ知ってることは、新たな視点から観ることができる楽しみを専門学校卒業後数年してから気づきました。
残念なような、楽しみが増えたような。
個人的な感想や思考なので、これがなにかを示すものではないのですが、私は色々「できない」から始まるので、「できる」人が「できない」を忘れて進める授業や講座が苦手なだけです。
そして「できる」となったときに歩みが止まってしまうことも経験したので。
自戒も込めてここに書いてみました。
それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!
# by treatment-suzaku | 2018-08-24 07:16