2018年 09月 07日 ( 1 )

整理できる存在

おはようございます。
9月7日(金)、夜中から雨が降ってましたが今はやんでる。
でもまた降るんですかね、明日も明後日も…
明日は中止した保育園のイベント再び…と準備していたんですが雨が降る?
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北海道も大阪も電気の復旧がまだです。
季節が真夏真冬でなくてよかったのかと思いますが、電気がない不安は私には未経験ですが考えるだけで怖い。
しかしこれから冬を迎える北海道では住居の確保も必要だろうし、何より食に関しても被害が出ています。
牛乳製造の大手が操業できていない。
野菜なども収穫できない状況でしょうし、価格が上がるでしょう。
でもそれは当然のことですし、価格が上がった分を寄付していると思えばそう高いものでもない。
1日も早いライフラインの復旧を願っております。

私のなかで混沌となると、内田樹先生の著書をパラパラと捲ることが多い。
今回は夜間飛行から発刊されている【困難な成熟】です。
その中で『「労働」の対立概念は遊び?』という項目から引用させていただきます。
愉快に仕事をしている人間には「オンとオフのデジタルな境界線」なんかありません。仕事しているんだか、遊んでるんだか、本人にもよくわからない。それはたぶんその生き方が「生物として理にかなっている」からです。「労働と遊戯の区別がつかない状態」がある種の理想であるならば、それをわざわざ切り分けて、「労働とは何か」などと力む必要はありません。
まっとうな労働には「遊び」の部分がつねに含まれている。
そういうことでいいんじゃないでしょうか。(90~91項)
オンもオフもそもそも「私」なんですよね。
ピエロのように演じたとしても、演じているのも「私」ですしね。
境界も違いもないんですよ、ただあるのは周りにいる人が違いそこから跳ね返って見えてくる自身が違うように見えるだけ。
違うように見たいのかもしれないですね、「遊び」がない労働をしている人は。
【今の私は本当の私ではない】ってね。

もしかしてこどもにも、学校に通っているこどもにもこんなことが起こっているんやないだろうかと、ときどき思う。

先程引用したあとには続きがある。
だから、まったく遊戯性のない労働をすることは(ガレー船の漕ぎ手とか、ブラック企業で月100時間残業とか)、「生物として理にかなっていない」ということになります。「遊びの要素がまったく含まれていない」仕事は「労働」ではありません。ただの「苦役」です。できるだけ早く逃げ出したほうがいい。(91項)
子供の場合、仕事じゃなくて「学び」になるかな。
置き換えたら登校拒否したり授業時間に教室にいない、いても話聞かないのはこういうことなのかなと。

時間がないのでここで終わります。
続きを書くことはないですが、施術の時にでもお喋りしましょ。

それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!
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by treatment-suzaku | 2018-09-07 07:41