2017年 05月 27日 ( 1 )

読みにくいかもしれません

おはようございます。
5月27日(土)、本日は変則で9時半~11時半・17時~19時の受付になります。
途中抜けるのは、武田双鳳先生の書法道場@京都でヒモトレ講座をするためです。
前後ちょっとバタつくかもしれませんが、ご容赦ください。
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ちょっと涼しい朝ですね~
薄手の羽織るものをお持ちくださいね。

さて、昨日読了したこの本。
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【漢方水先案内 医学の東へ】津田篤太郎著・医学書院(シリーズ ケアをひらく)

医の東西、どちらかが良いとか悪いとかという話ではなく、こういう選択肢があるんですけどいかが?という本。
でもその内容は、重要とする以前、当たり前のことが詰まっています。
なので引用したい箇所が山ほどあるんですが、今日はちょっと長めですが此方をご紹介させていただきます。



私は何度か指圧の講習会に出たことがあるのですが、私が指圧するといつも上級者に「力が入りすぎている」と叱られます。その上級者は患者に手を当てると「ほら、指がここで止まる」と言い、「ほんの少し体重をかけるだけでよい」とやって見せてくれるのです。
非常に逆説的に聞こえますが、その上級者は私よりもずっとずっと“初心者的”なのかもしれません。そして私は、「初心者になることにつまずいている」ということになります。
力や技術をよりどころに、患者に能動的に介入して患者を治そうとするのはプロの思考です。力や技術がなければ患者はよくなるはずがないし、治療ともいえない。だいたい力も技術もなくてよいなら、素人にだって治療できることになってしまう…と多くの人は思い込んでいます。
それに対して「指がここで止まる」という上級者の言葉は、治療者の能動性を放棄しています。技術も力もなく「ただ触れる」ということが、結果として治療的効果を生むわけです。
実はこの「能動性の放棄」こそがたいへんに難しく、それこそ一生涯にわたってトレーニングをしないといけないことなんだろうと思います。つまり何かを身に付けるトレーニングではなく、知らないうちに身に付いている何かを放棄するトレーニングです。
増永(増永静人・指圧研究所「医王会」設立者)は、この治療者としての能動性を“我”という言葉で表現しました。「我を捨てる」―これこそが、治療者として最も必要な特質であるとしました。
〈中略〉
さて、プロとなることを諦め、技術を放棄し、能動性を手放して、目標やゴールも設定しないとしたら、治療者に何が残るでしょう。
それこそが、前章で述べた「作法」であると私は思います。
すぐに目に見える結果を生まないような介入、結果を期待しない介入というのは「方法」とはいえないのです。私の下手な力で押す指圧は、指の力で強張った筋肉をほぐそうと結果を期待しているので「方法」らしいところがありますが、「ただ手を当てる」「指がそこで止まる」という達人の指圧は、そういう指圧の行為自体が結果になっているのです。
これこそが「方法」ではなく、「作法」と呼ぶにふさわしいものであると考えます。

(本文169~173項より引用)


本文より補足します。

方法の思考だと、ホスピタリティの目的につながらないものであればすぐに放棄されます。方法というものは目的を強く思考しており、目に見える結果を求めます。
作法は、目的をそれほど強く意識していません。何度も何度も同じような所作を練習しているので、作法自体が自己目的化しているように思える。どんなにお稽古を積んでも一つや二つ反省点が出てくることもあるでしょう。それを次に生かそうとする努力するのが、作法を極める達人の後ろ姿です。




ただ触れる、能動性の放棄、知らないうちに身に付いている何かを放棄するトレーニング、はまさに小関式バランストレーニングとヒモトレです。
紐に身体を委ねるだけでその放棄ができてしまう。
すると身体は勝手にほぐれていくし締まるし、整っていく。
そして、ヒモトレをしないと身体が楽にならないからという目的のある「方法」ではなく、身支度という目的の曖昧な「作法」になっていく。
着物を着こなす方は、その布を纏っていく姿も美しくみえるように。

流れるような美しさ。
思わず見惚れてしまう動作や所作が「作法」となる。
昨日、平尾剛さんが対戦相手を目の前にしているのに、その動きの美しさに魅入ってしまうように遅れをとる、試合を見ていても動きの美しい選手に目を奪われる、と仰っていた。
相手を抜く方法ではなく、チームの勝利よりも気持ちよく動けたという「作法」による動きなのですね。

つじ鍼灸院で施術を受けていただいた方はご存知と思いますが、この「指がここで止まる」ということを、ツジがどれ程大切にしているか。
他院との違いではなく、他者との違いですよね。
ここ数年、師匠の周り意外の方と出会うことで、この違い、つまり「方法」と「作法」の違いを実感していたが、言葉にできなかった。
この本というか、津田篤太郎先生の言葉と出会えたことでようやく伝えることができるようになりそうです。

最後に、個人的な勉強会でも伝えさせていただいていることが書いてありましたので引用して終わりたいと思います。

【「作法の達人」は、達人であるにもかかわらず、まるで素人であるかのように謙虚です。先にも述べたように、予測のしようもない状況に委ねることが多いと、謙虚にならざるをえないのでしょう。】(149項より引用)


それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!
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by treatment-suzaku | 2017-05-27 07:00