言葉がないから伝わる写真
おはようございます。
5月15日(月)、どうやら葵祭は天候に恵まれそうですね。
以前は時代祭やったかな?馬が車にビックリして走り出してしまい車に衝突…ってことがあったので、無事に終えることを願ってます。
さて、昨日終幕した京都国際写真祭。
結局行けなかった会場もありましたが、十数名の世界に触れることができ、それぞれに思うことがあり、気持ちが揺さぶられた。
カラーあり、モノクロあり、投影あり、と色々な展示方法も言葉がない分、そこも含めて見た人が自分の中で言葉にしていくんだなと。
それぞれが積み重ねてきたこと、経験してきたことが言葉になっていく感覚。
実をいうと、芸術が苦手でした。
どう見ればいいのか、というのがわからなかったから。
実際、どう見るかも含めて自由なのが芸術なんですね。
で、見る機会が増えてきたり、同じ作品を何度も見ることによって、目が肥えてくるというのか作品の向こう側、作者の描いている姿や心情まで想像できてくるんかなと。
桂南光さんがテレビで美術館に行って、絵や作者の独自解説をされているのですが、こういう見方もあるんや…と、ワクワクします。
昨日は夕刻に吉田亮人さんの展示を観に行けました。
トークイベントに行きたかったんですが時間が合わなかったので、せめて展示をと、5回ほど観ることができました。
何度観ても、婆ちゃんと孫の関係と最期から目が離せなくなる。
何度か観たからふと感じた婆ちゃんの指定席。
吉田さんに会ったら訊いてみようと思う。
また来年以降も開催されるとのことなので行こうと思います。
写真はその瞬間とその前後、被写体とカメラマンの距離や心情が想像できて好きになりました。
それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!
by treatment-suzaku | 2017-05-15 07:25