見えているのに見えていない
おはようございます。
6月13日(水)、窓を開けて寝たらちょい寒いぐらいでしたね。
起きて長袖着てるRenを見て、なるほどと。
さて、この本は新書で唯一、本から存在アピールをされた1冊です。
伊藤亜紗 著
「目の見えない人は世界をどう見ているか」(光文社新書)
第1章 空間 見える人には必ず「死角」がある(69~70項)
見える人は三次元のものを二次元化してとらえ、見えない人は三次元のままとらえている。つまり前者は平面的なイメージとして、後者は空間の中でとらえている。
視覚を使う限り、「視点」というものが存在するからです。視点、つまり「どこから空間や物を見るか」です。「自分がいる場所」と言ってもいい。
同じ空間でも、視点によって見え方が全く異なります。
私たちが体を持っているかぎり、一度に複数の視点を持つことはできません。
このことを考えれば、目が見えるものしか見ていないことを、つまり空間をそれが実際にそうであるとおりに三次元的にはとらえ得ないことは明らかです。それはあくまで「私の視点から見た空間」でしかありません。
見えている人も空間でとらえている人はいるなと、周りを見渡すと思うんです。
が、それは私から見た視点、意見であり全てではない。
施術もそうであるが、講師の視点のみで話すと共有できない。
共通言語である評価法が抜けていると特に。
そしてこの評価法は患者にとって過程を知る大切な行為でもある。
だからなんですが、ちょっとしたバランステストをしてもそれがいいかかどうかは判断しかねます。
知ってもらう方法としてはいいかもしれないが、それは全てではない。
あくまでも平面であり、空間ではない。
例えば打撲。
打撲した部分は痛みもあり腫れ、熱を持つのでわかりやすく対処はできる。
しかしその衝撃はそこだけ?というのが抜けていると、後々に痛みや動きにくさがそこ以外の部分に出てくる。
外部からの衝撃を平面でとらえるのではなく空間でとらえれば、予測はできる。
なにより、打撲するということはすでにバランスを崩している可能性がある。
バランステストだけでなく、他にも観るべき部分もあるということ。
それが他者を診る、観る上で必要最低限なことになります。
といっている私もまだまだ平面でとらえていることがあり、研鑽しているのですが…
1日も早く、空間でとらえることが当たり前にになるよう1歩ずつ確実に(3歩進んで2歩下がるでしょうけど)積み重ねて参ります。
それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!
by treatment-suzaku | 2018-06-13 07:39