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読まんでいいですよ

おはようございます。
9月20日(水)、彼岸ですね。
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涼しいような、蒸しているような。
夏の蒸し暑さとは少し違う。
空を見ると雲が徐々に低くなっているような。
少しずつ移り行く季節の狭間ですね。
体調に合わせた服装、食事を。

さて、鷲田清一先生の名著(と私は思っている)【わかりやすいはわかりにくい?―臨床哲学講座(ちくま新書)】より、昨日1日を振り返って感じる文があるのでご紹介します。


[わからないものに囲まれて鬱いでいるときに、それをすぐわかろうとするのではなく、それをこれまでとは違う地点から問いなおしてみること、そしてそこから自分の鬱ぎを、別の、もっと堅牢な論理でとらえなおすこと。問いはそういうかたちではじまるべきだと思う。](21項より引用)


この前にはこうも書いておられる。


[けれどももっと大事なのは、わからないけれども、わかっていないということだけはわかっているということではないだろうか。あるいは、わかったつもりになっているが、まだわかっていないことがあるということ。問題にいっそう近づくことはそういうことだ。もっと言えば、生きるこうえでほんとうに大事なことは、わからないものに囲まれたときに、答えがないままそれにどう正確に処するかの知恵というものだろう。](20項より引用)


安易な答え、応答を繰り返すと云うのはわからないことに対して無自覚であり、それはある主の反射で思考いていない、思考停止状態の応答となっている。
だから、そのあとになんの話?と訊いても「え?何がですか?忘れました、知りません」となる。
心の中で「もっと考えろ!」と毒ついている私がいる。
その瞬間に、「あ、自分も考えてないわ。反射的に突っ込んでしまった」と。

どうしても、わかりやすいものに飛び付いてしまうのは、考えないでいいからです。
そしてその結果どうなっているかと云う状況も考えていないからわからなくなってしまう。
それが、今、自分の周りを取り巻いている状況であり、環境であり、身体である。

しかし、身体に関しては無意識がいいこともある。
考えない。
まずは感じると云う感受、観察することから始める。
あまり考えすぎない。
先日も書きましたが、敏感すぎるというのは身体の感受、観察し過ぎて、考えてしまうことでもある。
私の場合、あれこれと考えすぎているので、逆に生きづらい状態になっている。
なので、身に委ねてしまう。
それについてはあんまり考えない。
よほど身体の方からサインが出たら少し考えてやりアシストしてみる。

はい、ここまで書いてたらわかりますよね。
何だかんだややこしくと云うか遠回りしましたが、こんな感じで小難しく考えていると云うのが私の日常。
しんどくないです。
むしろ、楽しい。
いや、正確に云うとしんどいけど楽しいが上回る、というところですね。

長々と取り留めもない事を書きまして申し訳ない。

それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!

by treatment-suzaku | 2017-09-20 07:14