おはようございます。
9月18日(火)、テレビは消費されてナンボなんですかね。
毎日のように話題が変わり、3日前の話題が今はもう影もない…というのが年々早くなっている気がしてならない。
それが当たり前のように感じてしまうのはある意味生きやすいのかもしれないが、それは考えることを止めたようにも感じる。
もしかすると、ちゃんと考えるときに考えられるために無駄に考えないようにしているのかもしれないですね。
そう考えるとテレビもなかなかやりますな。
話題を拾うの大変でしょうけど。
朝から何考えてんでしょうね。
さて、16日(日)に徒手検査法を通して施術の確認をしていました。
最小人数の2人参加だったので、たっぷり時間をつかって徒手検査の練習。
私はいつも一人なので、自身が調っていないとブレるどころかブレ始めがわからないので、こうして定期的に伝えることができるだけでも自身を見返すことができる有難い機会になってます。
「他者を通して自身を知る」
参加してくれた先生方は帰る道中に落ち込まれたようですが、落ち込めるということは「出来ないことを自覚できた」ということです。
それは医療においてもヒトとしても私は何よりも大切なことだと考えてます。
出来ないときに出来ることを駆使して補うか、他者にバトンを渡すか、他者と共に可能性を探るか、など一人では困難なことも三人よれば文殊の知恵というぐらいですから、可能性が広がります。
それは生存するという意味でも重要です。
少し話がずれましたが、徒手検査をちゃんとできるようになるには先ず自身が調っていないと出来ない。
患者さんが出来ないのではなく、術者ができていない、すべきことをしていない。
ここが抜けちゃダメですよ、と自分に言い聞かせるようにお二人に伝えておりました。
で、患者さんの協力を得て動画を撮ろうと考えていたのですが今回は真正面からの撮影で顔が映るので断られてしまったので、参加してくれた先生方もあまり体がいい状態ではない、不具合たっぷりでしたからモデルをお願いして撮影させていただきました。
ただ私が何も考えず、といいのは編集で文字をいれるんですがその時間配分を考えずに長回し一発本番で撮影したのと、文字入れしながら気づいた撮り忘れ動作の数々…もうあとが大変。
文字が入れ替わり立ち替わりして肝心な動画が見にくくてしゃーない。
多少は目をつぶっていただいて、ご覧いただければ幸いです。
あ、この話は第4回ひもトレ祭のことです。
自身の体を自分で調えるために、他者にちょっと委ねてみるのは私はいいことだと思います。
他人の振り見て我が振り直せ、という言葉もありますしね。
まるっきり他者他人でなくても、ヒモトレという自分という他者に委ねてもいいかと思いますし。
ま、それぞれの感じる方法で“よりよく”なっていただけるのであればなんでもいいです。
それをしたあとに症状が増悪しなければ。
それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!