2017年 11月 11日 ( 1 )

衣服や靴の触覚鈍麻

おはようございます。
11月11日(土)、ポッキーの日?チンアナゴの日?
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毎日何かの日なんですね。
しかも、幾つもある。
記念なのか商業販促のためなのか。
記念という感じが薄らいでいるような感じですね。
私にとったら毎日が誕生日で毎日が命日という感覚です。
日本だけでなく世界で。
でも、手の届く範囲のことしかできないんですけどね。
おはよう、おやすみ、いただきます、ごちそうさま。
この言葉に気持ちをのせて。

さて、昨日の保育参観は昨年のイベントのような感じではなく、普段どんな感じで散歩して公園で遊んでいるかというのに親が混ざった感じ。
こんなんやってたな~、っていう遊び方をしてますね。
氷鬼の要領でバナナ鬼というのをやってるんですけど、タッチされそうになったら「透明の術」とか言うてタッチをされない卑怯技を出すとかね。
タッチの手を動きで掻い潜れよ!って突っ込んでしまいましたが、動ける子、動けない子と考えると工夫のある遊びやなと改めて子供の発想に関心、感心。

そんな中、転がしドッチが流行ってきているようで、巻き込まれてやってきました。
此方では考えさせられることがあったんですよね。
ボールが当たっても当たってないと主張する子がいる。
負けたくない、勝ちたい、長く遊びたい、等など心理的な要素と思う反面、身体の延長線である服や靴に触覚がない。
周りが見ていると明らかなんですよね、ボールの軌道が変わってるから。
でも本人は靴にまで触覚が付帯伸長化してないから当たった感覚がない。
ボールを避けることに必死で感覚が鈍麻していることも考えられます。
一度に多角的な感覚を鋭敏というのは難しいですが、これはなんでなんか。

裸足で遊んでない

これかなと。
同じ遊びを裸足でやることで当たった感覚を経験させる。
それから靴を履くと付帯伸長化しやすいんじゃないかと。
というのも、食事にしても絵を描くにしても、最初は素手なんですよね。
素手で豆腐が掴めるようになると道具を介しても繊細に扱えるようになる。
素手で絵具を触ることで質感(粘度、硬軟、弾力、など)を覚える。
ペンキ塗り立ての物に気づかずに触れそうになるかならないかのときに気づいて回避できる。

鬼ごっこでタッチされたされてない、と揉めるのはだいたい服にタッチした鬼と身体に触られていない逃げる子の違い。
あのね、服は人工的な皮膚なわけですよ。
だからタッチされてないと訴えるのは複雑な気持ち。
たまにね、服にすら触れていないのにタッチしたというのもあります。
こればっかりは気持ちが空気に付帯伸長化したんじゃないかと思う。
それだけ遊びに熱中しているということなんでしょうけどね。
悔しくて泣く子もいれば、困り顔の子もいるし、関係なく笑ってる子もいるし。
喜怒哀楽がそのまま出せる環境はいいですね。

服の触覚がないというのは子供よりも大人の方が酷いですよ。
特にこれからの寒い時季の電車。
上着の裾が隣の人の足に乗っかってたり、隣の人の裾を踏んでたり。
そういうことに気づかない人が多いこと。
そのくせ、自分のを踏まれたらめっちゃ睨んでくる。
踏まれたくなかったら脱ぐか裾をきちんと整えるとかしておけばいいのにね。
特におっさんのコートやジャケット。
前はだけたまま座って裾が隣の人が座るところに広がっている。
ボタン留めて裾しまえ!ボタン留めて苦しいんやったらせめて裾をしまえ!といつも思う。
公共交通機関に自分だけが快適に過ごそうなんて思うなかれ。
みんながちょっとずつ我慢と快適を同居させれば、総じて快適な公共空間が生まれるんやから。
たのんますよ、大人の皆さん。

それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!
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by treatment-suzaku | 2017-11-11 07:46