2017年 06月 18日 ( 1 )

自由って?

おはようございます。
6月18日(日)、曇り空で涼しい朝ですね。
山は少し寒いんじゃないかな。
保育園の有志で行く登山隊、今日は比叡山やったっけ?愛宕山やったっけ?どっちにしても寒いやろうな。
汗かいたときの着替え持っとかないと、体温奪われて体調崩すかも。
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前線がもうちょい北にあったら雨ですね。
乾燥が気になるんですが、今日は曇りで少し潤ってる気がします。
でももうちょいほしいかな。
お天道様も中々すんなりと季節を移してくれませんね。

さて、昨日はKちゃんのお誘いで和製マイケルと云われている三浦大知のファンクラブ限定のライブに行ってきました。
早く閉めたのはその為です、すみません。
ただ、三浦大知のライブに3回行って感じたことがあり、それはたぶん音楽という枠だけで語るにはもったいない、私たちの日常でも変換可能な気づきがありました。

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やはり人は制限がある方が自由だ。
ルールを疑うというのも、ルールという中で自由になる切っ掛けになる。
人が何にも縛られない自由を得た時、果たして身動きが取れるかどうか。
そう考えたら、制限がある方が自由だとわかる。
社会もスポーツも教育も、もちろん身体も。

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これは昨夜、Twitterで私(@ttcsushi)が投稿したものです。
どの本を読んでなのか、誰の話を聞いてなのかもう記憶から引き出せないほど実感していることです。
なぜこれを三浦大知のライブに行って感じたのか。
それは、歌って踊る人はだいたいハンズフリーのマイクセットを身につけます。
しかし三浦大知は、必ずマイクを持って歌い、踊ります。

以前、YouTubeでライブリハの動画があり、その中で三浦大知がマイクなしで踊っていた。
「これが三浦大知?」と思うほど、ダンスしている身体が自由なんです。
むしろ自由すぎて別人のよう。
で、初めてのライブでそのYouTubeの曲を観たとき、動きが全然違った。
そう、マイク一本持つだけで、身体の動きが全く違ったのです。
しかしそのマイクを持つという行為?制限をかけた身体は、息切れを感じない歌声で私たちを魅了する。

マイクセットをして歌って踊れば、ダンスパートはもっと激しく、もっと自由に表現するだろうが、息が上がってしまい歌がつまってしまうでしょう。
三浦大知は歌が歌えて踊る人なんです。
踊って歌うのではない。
歌って踊るので、声が出ることが第一。
過去にいわゆる体幹トレーニングや筋トレをした結果、声が出にくくなったと。
それから大きな目に見える筋力トレーニングをしなくなったというほど、声を大事にしている。
なんせ変声期に喉を酷使すると声が出にくくなるということを聞いて変声期の期間、活動をやめ一切歌わずにすごしたのです。

二兎を追う者は一兎をも得ず、でしたか。
しかしこれは、あえてどこかに制限を課すことで二兎を得ることもあるということです。
制限の中、ルールの枠組みの中でなら人の道に反しない限り、自由なんです。

なんの制限もなければ、自由も不自由もないですよ。
そんな概念は生まれない。

子供や他者に対して「あの人は自由やな」と感じるのは、自分が制限の中で自由になりきっていないだけです。
ルールや制限があるというのは、安心していいということです。
自由にしていいということです。
もう一度言いますが、それは、人の道に反しない限り、です。
昨今(いつまでを昨今というのかわかりませんが)、政治においては悪用しているとしか思えないことが続いておりますが、ああなっちゃダメってことです。
逆手にとるというのも、人の道に反しない範囲で、ですよ。

おっと、日曜の朝から書きすぎてしまいました。
そろそろ勉強会の準備をします。

それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!
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by treatment-suzaku | 2017-06-18 08:18