2017年 06月 02日 ( 1 )

引用と内容がちゃうかも…

おはようございます。
6月2日(金)、昨夜の雨は久々に雷雨の豪雨でしたね。
といっても1時間も続かない瞬間的な雨でしたが。
私としてはテンションがあがる夕立程度に感じたのですが、周囲ではゲリラ豪雨だと。
う~ん、なんかちゃう気がする。
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というか、この前線がずっと居続けている感じ、梅雨ですよね。
もう梅雨入りでいいんじゃないですか?
まだですかい?
気温さと湿度があるので、個個人で対応策をお願いします。

さて、ヒモトレをしてから、ヒモトレをする前に読んだ本で線を引いた文やその前後を読み返すと言葉が以前よりも入ってくる感覚があります。
その中で今日はこの部分をご紹介。



心を脳の中に閉じ込めてきたのは、あくまで私たちの「常識」であって、当の認知過程そのものは、端から脳の外に広がっているのだとすれば、「漏れ出し」「沁み出す」という表現を強調し過ぎてしまうと、かえって語弊もあるだろう。
ともかく、ここで強調したいことは、様々な認知的タスクの遂行において、脳そのものが果たしている役割が、思いのほか限定的である可能性があるということである。脳が決定的に重要であることはもちろんだとしても、仕事の大部分を身体や環境が担っている場合も少なくないのだ。
(36~37項より引用)

【数学する身体】森田真生(新潮社)

そしてこうも書いてある。


私は時々、人の所作を見ているときに、あるいは自分で身体を動かしているときに、ふと「動くことは考えることに似ている」と思うことがある。身体的な行為が、まるで外に溢れ出した思考のように思えてくるのだ。
(40項より引用)



先日、武田双鳳先生のTwitterで書の師であり母である双葉先生に「足で書け」と言われたそうです。
原稿の締切で思い付かない内容が、外をふらふら歩くことで、ふと思いつき思考が広がっていく。

実は私も、自転車に乗っているときや、子供らと遊んだり、山登りにいったときに、頭ん中が澄んでいく感覚があります。
落ち着こうと思っても落ち着けないとき、考えがまとまらないとき、身体を動かすと落ち着いたり思考がまとまることがよくありました。
何より、子供は動くことで考えているという場面を幾度となく見せられています。

走り回っている子供が靴を脱ぎ、再び走り回る。
暑い日に帽子を被せていても、すぐ脱ぐ。
それは帽子の暑さもあるんでしょうが、動くときに視界が狭くなるのと、汗が気持ち悪いというのがあるのかな、と。
考えるよりも先に身体が動いている子供。

でも実は大人もあるはずなんです。
如何せん、他者の目を気にしすぎて、社会としてはみ出さないようにしている結果、身体の感覚に蓋をして気づかない振りをし、身体が動かなくなって後悔する。

「なんかいつもと違う」

その感覚があれば、それに対応していけば、そうなる前に対応できるようになり「いつもと違うけど、これはなんとかなる、これは何ともならない」という判断というか自己修復できるかどうかがわかってくる。
そう、自分ひとりでどうこうできることではない、となれば他者に委ねる、頼るということができる。
そうすれば、身体もココロも軽くなる。

自分が今、どんな姿勢かと気づく時、あなたはひとりでしょうか。
きっとそこには鏡越しのあなたがいるはずです。
そう、もう一人のあなたが。


それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!
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by treatment-suzaku | 2017-06-02 07:22