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指導者であれ

おはようございます。
6月16日(金)、乾燥がひどく、喉が腫れた感じでいがらっぽい。
便が出たら腫れた感じが取れた。
いがらっぽさも段々取れてきた。
ということは、炎症で痛みが出たのではなく、浮腫で腫れて炎症が起こったということかな?
確かに昨夜、いつもより食べたと思います。
反省。
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梅雨なのに乾燥が…。
昨日も言ってたんですが、梅雨入り宣言がされるとしばらく雨が降らず、空梅雨かと思ってたら雨が続き、今度は梅雨明け宣言したらまた雨が続く…というのが私の感覚。
祇園祭の山鉾巡行はここ2年か3年晴れている気がします。
今年はどうなるでしょうね。

さて、ネルソン松原 著「生きるためのサッカー」(サウダージ・ブックス)をご存知ですか?
過去にブログでも書いたと思うんですが、体育教諭や部活の顧問、スポーツの関係者に読んでほしい一冊。
あと、自分がやっていた競技を息子や娘がやっている親。
必読の一冊です。
というのは、先生やコーチではなく指導者でいなくてはならないということの意味を知ってほしいから。
意外とこの違いってわかっているようでわかっていない。
わかってるよ、そんなん…という方ほど読んでほしいかなと。

で、私の好きな部分が此方(以前とかぶってたらごめんなさい)。


【「こっちが話したことをそのままメモするんじゃなく、自分の言葉に直してノートに書け」って。ぼくの説明を聞いて、全員が同じポイントを、同じように重要だと受け止めるとは限らないじゃない。一人ひとりポジションも違えば、必要な動きも違うんだから。それぞれが自分の理解したように書けばいいんだ。そうしないと自分のものにならない。言われたとおりに覚えて、決められた動きを守っていれば楽かもしれないけど、普段からそういう姿勢でやっていたら、いざゲームになると自由に動けなくなる。自分で考えられなくなるんだよ。】(150項より引用)


ね、これってサッカーに限ったことではないですよ。
野球だろうがバスケだろうが体操だろうが、学校だろうが保育園だろうが。
自分で考えることが出来ない若い奴が多くて困る、という大人がいますが、それを強いている自覚はない。
自分の考えややり方を押し付けていることに無自覚な大人。
それは先生やコーチであって指導者ではない。
で、そういう大人に限って「こどもらは楽しそうにやってますから」と言う。
子供はね、試合に出るために自分を押し殺し、楽しそうに見せる術を持っています。
それを真に受ける大人が、「こいつは頑張ってるから」と試合に出したり優遇してしまう。
そしてその子が怪我をしたら「何で言わへんかったんや」と怒鳴る。
心配してるのかどうか、と子供は思うわけですよ。
「考えん方が楽やわ」と思うに至りそうですね。

1枚の画用紙を渡し、「このペンを使って好きな絵を描こう」といってどう書くのか。
大人の言うことをきっちり守る子は、画用紙からはみ出ないでしょうし、隅っこに書くかもしれない。
でももしそれが、画用紙をはみ出たとしたらどうしますか?
子供には画用紙を置いた机や床もキャンバスになっているとしたら…大人が如何に自分の思う通りにさせようとしているかわかりますね。
一定のルールは必要です。
そのルールの中でどれだけ自由に発想できるか着想できるかは、こういう部分を生かしてあげたいですね。
自戒も込めて。

それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!

by treatment-suzaku | 2017-06-16 07:48