見えるからこそ見えていない

おはようございます。
3月10日(金)、まだちょっと寒さが身に染みる朝です。
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日本海側の雪にまだ注意、という天気アプリに表示が出てました。
朝の眠気を考えると、そろそろ春眠暁を覚えずになってきた気がします。
お彼岸も間もなくです。
暑さ寒さも彼岸まで…ですね。

さて、伊藤亜紗という方の「目の見えない人は世界をどう見ているのか」(光文社新書)をご存知ですか?
去年本屋さんで、本に呼ばれて買った一冊です。
新書って出版社ごとで表紙、装丁が一緒なんで、なかなか本が見つかりにくいというのが新書に対する本音。
そんな中で呼ばれたので、ほんまに自分でも驚きでした。
で、最近Facebookで伊藤氏の新刊が出ていると知り即購入。
今、少し読み出してます。
そこで前著を少し手に取り線を引いたところ見返してみました。
この本に呼ばれた理由は、私が「見えていることが死角をつくっている」ということをいろんな場面で感じていたからです。
師匠の治療所にいたとき、勉強会や講習会に参加したとき、どうしても見えている、動きのある部分に目がいき、見た部分しかメモを取っていない。
で、自分が伝える側になったとき、それがさらに実感を伴って自分に返ってきた。
「見えているはずが見えていない」というのは、見えているからこその盲点。
目だけに頼るとこうなる。
見えていない人が世界をどう見ているのか、目が見えないからこそどうやって見ているのか。
耳、鼻、手、足、と多くは触覚や音で「見ている」そうです。
確かに、施術のときに目ではなく触診、手で見ることが多い。
そしてそれは、端から見ると「見えない」のです。
「見えているから見えない」ということ。
ここは教えられて出来るもんじゃない。
教えてわかったことです。
云われると、そこしか見えなくなる。
ここでもまた、見えているはずのものが見えていない、という盲目的な状態にしてしまう。
気づかせるために、視野を広げるためには、言葉で伝えすぎてはダメですね。
子供のように、身体を低くしたり、背伸びしたり、立ち位置を変えたりというのを伝えた方がいいかもしれませんね。
姿勢を変える。
物事に向かう気持ちの姿勢ではなく、身体の姿勢を変える。
文字も姿勢で変わるんですから。

それでは、本日も反省と学びを反芻しながら始動!

今朝の体重、量ってません。
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by treatment-suzaku | 2017-03-10 07:10